スポーツウェアは、ピープルウェアへ。

澁谷征司

澁谷征司

かっこいい写真。

僕が写真家の澁谷征司と出会った2002年は、HIROMIXや蜷川実花を中心にした「ガーリーフォト」のムーブメントや、『写真新世紀』『ひとつぼ展』などのフォトコンテストが大いに賑わっていたこともあり、写真へのさしたる造詣がない僕のようなデザイナーでも「かっこいい写真」を使いたくなる時代だった。そんななか偶然目にした澁谷の作品は、バイテン(8×10インチサイズのフィルムを使用した大判カメラ)らしいダイナミックで緻密な描写が、ニューカラーのような美しい色彩に包まれた「かっこいい写真」だった。さっそく僕は、当時アートディレクターを担当していた音楽雑誌『MUSIC MAGAZINE』の企画のなかで使用するCKB(クレイジーケンバンド)のポートレイトを澁谷に依頼した。撮影現場で対面したときの澁谷の印象は、物腰が柔らかく言葉選びも丁寧で、写真家(僕の体験上、勝手に思い込んでるものだが)が持つある種の気難しさみたいなものが一欠片もない、人当たりのいい青年というものだった。撮影はCKBが定期的にライブを開催している横浜の長者町にあるライブハウス『FRIDAY』で行った。熱狂するライブを静的に収めた「かっこいい大判写真」をぼんやりと期待していたわけだが、コンパクトカメラを持った澁谷はそんな僕の思惑をよそに、淡々とそのシャッターを切っていった。正直、「これ、大丈夫(かっこよくなる)かな?」と心で思いつつ、かっこつけの僕は、「渋いですね〜」なんてデザイナーのふりをしながら、己の馬脚を隠すことしか言えずにいた。そして後日、澁谷から写真(当然、大判プリントではなくデジタルデータ)が送られてきた。それはコンパクトカメラが持つ独特の粗さとともに、『FRIDAY』の熱狂と、決して褒められるような治安状況ではない長者町を根城にするロックバンドの生々しさ、そして横浜が持つ猥雑な一面を正確に写し出していた。自分の心に映るものを形にし、それを商売にすることは本当に難しい。だからこそ他人からの期待(依頼、とも言えるが)に過不足なく応えることを安易に選んでしまう(写真家に限らず、僕のようなデザイナーもそう)。CKBのポートレートは、そんな期待ではなく澁谷の心に映るものを写した「写真家としての潔癖さ」が匂い立ち、そしてそれは、浮ついた僕を刺激する実に「かっこいい写真」だった。澁谷は躊躇なく旅立つことができる人間なのだろう。期待に添え続けることで安定する足場を離れることの怖さや、向かう先への不安はあるのかもしれない。だけど写真家が写真家でいられない「窮屈な場所」から迷いなく旅立てる潔癖さがその作品や仕事から見えてくる。そして2018年の春、16年ぶりに僕は澁谷と会った。現在は写真家としての活動だけでなく、京都精華大学の講師もしながら、東京と京都の往復をしている。写真はもちろんだが僕の興味は、潔癖な写真家が、今時の学生にどのような教鞭を取っているのかにどうしても注目してしまう。
「あの頃は放心していたと言うか、自分の写真を取り巻くものから離れたかったのかな。そんな時に震災(3.11東日本大地震)があった。なんかぐずぐずルーティンを続けるタイプだったし、いろんなものを絞る意味でもね。それで東京を離れてしばらくして京都の大学に五年間の約束で誘われた。学生には聞かれない限り何も教えないです。ただ撮ってきたものを見て、好きか嫌いかを言うだけ。そんな授業でも熱心な子は自分で写真集を作ったりする。ほとんどの子の写真は、ただ無邪気に面白い方に流れてるだけなんだけど、それでもこう、あの子たちなりになんか乗り越えようというものがあるから面白いですよ。はじめはね、こう、今の日本のなかを漂う不安みたいなものを写真から感じてみたかった部分があったんですよ。何に怯えてるんだ、こいつらとか(笑)。でもそんな弱さはありつつも、逞しい部分もちょっとだけ、ほんのちょっとだけですけどね、見えるんですよ。尖りたいんだな、という意思があの子たちの写真にも。まあ今年度一杯で退任して東京に戻るんですけど」。
大学生を「子」で表現し、その写真を「面白い方に無邪気に流れているだけ」と語る澁谷。学生に対する痛烈な批評ではあるが、しかし「流れる」ことの肯定や、「子」たちへのエールも感じる。なぜならば今年開催された澁谷の写真展「A CHILD」で記されたこの一文に収斂されるからだ。
「正邪の見分けがつかない世界に、多くの人はただ立ちすくむだけかもしれない。しかし混沌や破滅の最中であっても、素晴らしい出会いや美しいものは存在する。写真集には4種類の表紙があるがメインの写真は夏の海にした。遠くに竜巻が見えて少し冷たい風が吹いている。旅立ちの日のイメージに一番ふさわしいのではないかと思いこの写真を選んだ」
(文=佐藤孝洋/グラフィックデザイナー)

澁谷征司(しぶや・せいじ)/写真家
1975年、東京都生まれ。1995年より独学で写真を始め、CDジャケット、雑誌、広告、TVCFなどで活躍。写真集に『BIRTH』(2008年、赤々舎)、『DANCE』(2010年、赤々舎)、『空と』 『森と』(2011年、財団法人彫刻の森美術館)、『A CHILD』(2017年、文藝春秋)。個展は2007年『BIRTH』(AMPG)、2008年『RIVER』(青山スパイラルガーデン、東京)、2010年 『DANCE』(AKAAKA、東京)、2011年 『FLAME』(AKAAKA、東京)、2012年『LETTERS』、2013年 『RIVER RIVER』(青山スパイラルガーデン、東京)、2013年 『ミッシェル・ガン・エレファントと澁谷征司と佐内正史と』(FOILギャラリー、京都)、2018年『A CHILD』(KYOTO ART HOSTEL kumagusuku) 、『A CHILD TOKYO』(B GALLERY、BEAMS JAPAN)など。京都精華大学教員(2018年度で終了)。
澁谷征司オフィシャルサイト http://www.seijishibuya.com/

坪原成一朗

坪原成一朗

不思議なワンマン力。

建具・家具職人の坪原成一朗は、『坪原木工』の二代目だ。建具職人とは、扉や襖など内装の造作をメインにした職で、一見、大工仕事との職域が曖昧だが、左官職人や表具師、電気工事士などと同じく、建築に関わる「専門職」だ。この木工所で作られるのは「造作建具」と「造作家具」。つまり、客の要望に合わせてオリジナルのデザイン、サイズで作り上げるオーダーメイドの製品だ。
「例えば注文住宅の建具を作る場合、図面通りに作ればOKというわけではないんです。建物のイメージに合わせて木の種類やサイズ、使い勝手を見直し、設計士と意見を出しあってイメージを共有していく。ものづくりの前段階がすごく大変なんですね」。
日常的に触れるものだからこそ、その出来栄えに対する評価はどうしても厳しくなってしまう。デザインはもちろんだが、ほんの少しの誤差が建具や家具そのものの違和感につながるため、使い勝手をイメージした細やかな気配り、それを実際に形にする技術、さらには相手が求める理想形を汲み取るコミュニケーション能力が必要とされる。面倒ごとが多く、気が抜けない。要するに「大変な職」を選んだ坪原に、この仕事の魅力を聞いてみた。
「必ず経年劣化するものなんですよ、木って。玄関ドアだったら日に当たって反ったり、雨に打たれて傷んだり。それを抑えるために、水が当たったら流れるようにちょっと勾配をつけたり、大きな不具合が出ないようにしなくちゃいけない。とくに建具は厚さがほぼ決まっているから、制約のあるなかでどう手を加えるか。そんなことを考えるのが好きなんですね」。
そう語る姿は、傍から見れば面倒に思える気配りもコミュニケーションも、まったく苦にならないように見える。と言うよりも、傍から見た「大変」を「大して大変なことじゃない」と考えているのかもしれない、きっと。
だからだろうか。坪原は「家族経営の中小企業の社長」という、これまた面倒で気を使いそうな立場であるが、それすらも飄々とこなしているように見える。就業規則や社内ルールが明確な大企業と比較した場合、家族経営の中小企業はそれがやや甘い印象だ。坪原木工もそんな印象とさしたるズレはない。工場のエントランスには坪原の趣味である自転車のコレクションを「堂々」と飾り、事務所には愛読マンガ『弱虫ペダル』の「全巻」がずらっと並ぶ。そして悪びれた様子は露ほどもなく、実に生き生きと自慢し、その素晴らしさを熱心に説いている。行動も言動も典型的なワンマン社長のそれだが、実際のところ職場にギスギスした様子はなく、逆に、積極的にそのワンマンぶりを受け入れているように感じる。
「そうそう、今、うちのサイクリングチームのジャージを作ってるんですよ」。
そう言って持ってきたのは、「Tsubohara Factory」とプリントされたチームジャージのデザイン案。
「これ、いいでしょう。背面に仕事道具のイラストが入ってるから、走ってるときでも僕たちが木工職人って分かる(笑)。完成したら湘南の海沿いをみんなで走りに行くんですよ」。
次に訪れたときには、エントランスにチームジャージ姿の集合写真が飾られているかもしれない。
いつのまにか周囲を自分のペースに巻き込んでしまう不思議なワンマン力は、社長と従業員という枠を取り払い、仕事もプライベートも関係なく「仲間」にしてしまう。この「不思議なワンマン力」こそ坪原流の「大変を大して大変なことじゃない」ものにする「技術」なのかもしれない。

坪原成一朗(つぼはら・せいいちろう)/建具・家具職人
1977年、神奈川県生まれ。レストラン勤務、家具工房での修行を経て、父が経営する『坪原木工』に入社。それまでは建具のみを製作していたが、修行で学んだ家具作りの技術を活かし家具製作まで業務を拡げる。2009年、二代目社長に就任。注文住宅や店舗、リノベーションを中心に、法人、個人を問わず造作建具と家具の注文を受け付けている。自宅近くにあるサイクリストの聖地「ヤビツ峠」で、朝4時から3時間の「朝練」を行うほどの自転車好き。
坪原木工 http://tsubohara.com

小野寺玲

小野寺玲

「それ」を食べた男。

「それ」を食べた男は、感情の昂りを抑えきれずにいた。そしてその感情の赴くままに「それ」がある店々に足を運び、食べ続けた。だがしかし、何度食べようが、どんなに工夫を凝らした「それ」に出会おうが、男の感情の昂りが収まることはなかった。そして男はある決断をする。「理想」の「それ」を「自分で作る」と言うことだ。もはや偏愛と言ってもいい「それ」への愛、その行く先は「それ」に精通する、もしくは「それ」作りに従事する者の知識や技術に匹敵する地平へと向かっていた。
栃木県・宇都宮市にホームを構えるプロサイクルロードレースチーム『宇都宮ブリッツェン』に所属するプロロードレーサーの小野寺玲は、自他ともに認める甘党だ。なかでもドーナッツ(オールドファッション)は小野寺にとって常用食であり、甘党を名乗るうえでの金看板でもあった。そんな小野寺は、2016年に遠征先のフランスで「それ」と出会い、その看板を降ろすこととなる。「カヌレ・ド・ボルドー」、通称「カヌレ」。フランスのボルドー地方で誕生したこの焼き菓子との出会いは、小野寺のスイーツ愛に大きな偏りを与えることとなった。
「もう、その場で恋をしてしまったんですよ……とにかくもの凄い衝撃でした……。カヌレは……。それまではドーナッツ専門だったのですが、もう、今はカヌレ専門です。ロードレースの補給食は高カロリーで、即エネルギーに変わる糖分、甘いものを使用するんですね。アップルパイとか、ロールパンにジャムやハチミツを染み込ませたものとか。僕はそんな補給食が好きだったんですけど、でもカヌレと出会ってからその甘さが「甘い」と言いますか……。それほどカヌレにやられてしまいました。今でもいろんなお店のカヌレを食べてますが、なんと言いますか、こう、自分に合うカヌレに出会えないと言いますか、どうにも満足ができなくて。だから理想のカヌレを作りたくて、オフは家に引きこもってカヌレ作りをしています。いい材料を使うことは当然ですが、作り方が大事で、ひと手間や工夫、アイデアを取り入れた「俺のカヌレ」を模索してるんですよ! え? せっかくのオフに面倒じゃないか? ぜんぜん! 焼き上がったときの達成感たるや……もう……気持ちは高揚するし、たまらないですよ。俺のカヌレはできたか? いやいや、まだまだぜんぜん……道半ばですね……。でも、つい先日焼いたやつが会心の出来栄えだったんですよ! チームのみんなが美味しいと言って食べてくれましたし、家族にも評判がよくて。300円くらいなら売り物になる自信がありますよ。いや、ホント。あまりにも素晴らしい出来栄えだったので、写真を撮ったくらいです。見ますか? いやホント、食べさせたいなぁ。今度タイミング合わせて持ってきますよ! ただ仕込みから焼き上がりまで3日かかるので、事前に連絡は欲しいですね……。あ、でなんの話でしたっけ?」
スポーツ選手にオフの過ごし方を聞く企画がカヌレの話になり、続いてカヌレの作り方の話に変わり、そして理想のカヌレ論、最後はカヌレをふるまう話になっていた。素人離れ、いや玄人はだしと言っていいのだろう。小野寺のブログには、コックコートを着た自身の写真だけでなく、道半ばと言う「俺のカヌレ」のアーカイブがずらりと並んでいる。その熱量と多くの経験、さまざまなアイデアで熟成を重ねる小野寺の「カヌレ」は、有名店にも、フランス人パティシエにも作れない、「俺のカヌレ」として、新しい地平から誕生するだろう。
そうだ、カヌレへの熱量にほだされ、肝心なことを記し忘れるところだった。2016年に日本代表へ招集され挑んだU23の国別対抗レース『ツール・ド・ラヴニール』(フランス)で、日本チームで唯一の完走、2017年は2度の国内ツアー優勝、アジア選手権U23の個人タイムトライアルの王者。
そして本年のJプロツアー個人総合で4位と、国内外の第一線で活躍している「プロロードレーサー」、それも小野寺玲である。

小野寺玲(おのでら・れい)/プロロードレーサー・宇都宮ブリッツェン所属
1995年生まれ、栃木県鹿沼市出身。中学生のときに観戦した宇都宮開催の『ジャパンカップ』をきっかけに中古のロードバイクを購入。以降、ホビーレースへ出場するようになり、その醍醐味を通しプロを目指すことに。自転車競技部のある栃木県の私立高校『作新学院高等学校』へ進学するが、ロードレースへの憧れが強く、自転車競技部を自主退部する。その後、プロサイクルロードレースチーム『宇都宮ブリッツェン』の下部チーム『ブラウブリッツェン』へ入団し、待望のロードレースを経験。高校卒業と同時に実業団チーム『那須ブラーゼン』に入団し、プロデビューを果たす。2016年には『宇都宮ブリッツェン』へ移籍。同年、ナショナルチームにも選抜され、国外レースにも本格参戦。2017年のアジア選手権U23個人タイムトライアルでは優勝を遂げ、アジア王者の初タイトルを獲得した。愛称は「オノデライダー」。
宇都宮ブリッツェン www.blitzen.co.jp
小野寺玲ブログ http://blitzen.way-nifty.com/onodera/

宮澤崇史

宮澤崇史

イタリアのシェア文化とカフェ。

「イタリアは面白くて、例えば子供がお菓子を10個持ってたとするじゃない? それを全部自分ひとりでせしめるようなことはせず、友達に配るんだよね。みんなでシェアして、みんながいい気持ちになる文化なんだよ。自転車選手もそう。その日のレースで勝った選手がここ(世田谷三宿の自転車カフェ『カフェ・プラスジョーヌ』)みたいなバール(カフェ)の飲み代を全員に奢るんだ。『今日は僕がみんなをいい気持ちにさせるよ!』 みたいな。アルベルト・コンタドールなんていつも奢ってるよ(笑)。シェアする文化なんだよね、イタリアは」。
18歳のとき、単身でイタリアへ渡り、以降フランスやロシアなどさまざまな国のトップチームでキャリアを磨き、常にインディペンデンスの精神でチャレンジし続けてきた元・プロロードレーサーの宮澤崇史。言語やフィジカルだけでなく、ロードレースの規模やそれを取り巻く環境、オーディエンスの熱量、そして何より自転車文化が日本のそれとは大きく異なる「自転車先進国での生活」を体験してきた宮澤から、日本と海外のロードレース事情を聞いているときに気になった言葉、それが「シェア」だった。
「イタリアのバールは人が集まる場所、日本で言うと街のコミュニティなんだよね。そこに人が集まるから、当然情報も集まる。それを共有、シェアする場所でもあるんだ。使い方もいろいろで、僕が選手のとき、レースの情報はバールで集めてたんだよね」。
日本のカフェと言えば「まったり」や「癒し」などを得るための「個を楽しむ空間」であり、また洒落たライフスタイルを気軽に演出できる趣味性の高い場所だが、イタリアのようなサロン的な実用性は低い印象を持つ。
「イタリアの世界選手権でタイムトライアルのスタート地点になるモンテカティーニ・テルメの隣町がモンスンマーノ・テルメ。この街は僕がいたチーム『ファルネーゼ・ヴィーニ』や、そのスポンサーの本拠地で、チームのマネージャーや監督も住んでる。そこに『レ・デルカプチーノ』と言うバールがあって、かなり通ったんだよね。そこは親父さんが自転車好きで選手をリスペクトしてるから、日本人の僕なんかでも立ち寄ると、カプチーノのお代わりを奢ってくれたりするんだよ。だから必然的に選手が集まるし、当然、情報も集まる。本当に有益な場所だったね」
現在は『リオモ・ベルマーレ レーシングチーム』の監督として、また講演会やサイクリングのイベントで全国を駆け巡る宮澤に、今でも余暇があればカフェに行くのか聞いてみた。
「余暇がないからそんなには行かないかなぁ……。それと日本のバールは使い方が難しいよね。あと値段も高いし(笑)」。
イタリアでは現在、有名なサイクリングロード内の国有地や、国所有の歴史的な建造物をホテルやレストラン、サイクルステーションなどに転換し、観光客へのサービスに利用する地域再生プロジェクトが進められている。子供のお菓子やカフェに集まる情報だけでなく、国で取り組む大規模なプロジェクトも「シェア」するイタリア。翻って僕たちの今いる場所はどうなんだろう。「シェアリングエコノミー」なんて言う空々しい言葉だけがネットで喧伝されるけど、ひとさまの土地は言うまでもなく、建物すら「シェア」する事例は少ない。カフェだって共有できることと言ったらWi-Fiくらいだし。宮澤が言う「使い方が難しい」とは、僕たちの今いる場所が「ひとりで気持ちよくなる場所」だからこその「難しい」なのかもしれない。

宮澤崇史(みやざわ・たかし)/元自転車プロロードレーサー
1978年、長野県生まれ。10代から日本、フランス、イタリア等でレース活動を行う。23歳の時に母親に肝臓の一部を提供するという転機がありながら、その後も選手として活躍を続けた。2008年、北京五輪男子ロードレース日本代表選手に選出。2010年全日本選手権ロードレースを制する。2012年、当時、世界で最もカテゴリの高いプロチーム『サクソバンク』に所属し、リーダージャージ(個人総合時間賞)・ポイントジャージ(スプリントポイント賞)を獲得。日本人選手として初めて袖を通した。18年間の海外レース活動を経て、2014年に引退。現在、『リオモ・ベルマーレ レーシングチーム』の監督をし、講演会、全国各地でサイクリングイベントなどでも活動を行っている。
宮澤崇史オフィシャルサイト「bravo.」 http://bravo-tm.com

升井亮爾

升井亮爾

大事なのは今の自分に「はまる」こと。

一見、中古レコード屋の気難しい店主にしか見えない升井亮爾は、看板職人とサインデザイナーの肩書きを持つ、本人曰く「職人」だ。神奈川県の北部にある升井の事務所はユニークな混乱に満ち満ちている。昭和57年に建てられた木造家屋の事務所、その壁面棚には色鮮やかなカッティングシートがびっしりと収められ、その傍らにもおびただしい数のアナログレコードとCDが飾られている。升井自作の壁面棚やラック、テーブルは、さまざまなヴィヴィッドカラーのカッティングシートで彩られ、切り出しや加工を行う作業場の壁もライトグリーンで覆われている。そこにあるものすべてが視覚を刺激する「色」で包まれ、その刺激の集合体が、はじめて升井の事務所を訪れるものにゆるやかな混乱を与える。そしてその混乱の要因は電子機器にも及ぶ。イラストレーターの作図データをアウトプットするプロッターは、切り出しまで行う最新のそれだ。しかし、そのデータをリップするPCは、Windows XPを搭載した懐かしい部類のものだ。刺激的なカラーリング、仕事場と趣味部屋を曖昧にさせるものたち、新旧がないまぜになった機器。本筋の質問(仕事でスポーツウェア着る理由)はさておき、この混乱が生まれた理由が知りたくなった。
「ここはもともと実家で、両親が越したのを機に事務所にしたんですよ。カラーリングは、もともとカラフルなものが好きだったこともあるんですが、デザイナーってこう、文字は小さく! 質感はマット! 色はモノトーン! みたいな人が多いじゃないですか。だからその反動で、僕の仕事はカラフルにしてたという天邪鬼な理由です(笑)。とは言え、その理由に強いこだわりもなくて、歳を取った今ではモノトーンが好き(笑)。デザインはイラストレーターを使いますが、Macは使わずに昔からWindows PCですね。何となくデザイナーはMac、職人はWindowsというイメージがあって、僕の仕事はデザイナー的な側面は濃いけど、職人の方が言葉の響きがいいのでWindowsにしてます。これも深い理由はありません……。プロッターは最新の方がディテールを詰められるのでそうしてますが、パソコンは古くても困らないんですよ。もうね、キューハチ(NECのPC-9800シリーズ)から始めてるんで、Windowsになっただけで十分(笑)。とにかく、デザインも手仕事も、趣味も部屋も、「今の自分にはまれば」過ごしやすい場になりますし、いい仕事や結果にも繋がるんですよね。作業着だってそう。窮屈なものよりトレパンの方が断然気持ちいいですからね」。
「今の自分にはまる」。このプロモーション企画を通し自分の「職域」にこだわらず、常に新しい試みにチャレンジを続ける人たちの話を聞いてきたが、それぞれ表現は違えど、みな似たようなことを言っていた。升井もそうだ。ど派手なカッティングシートで構成された激安店舗の看板製作から、ファッションブランドの店内装飾物として製作した造形的な難易度の高いカルプ(発泡ウレタン樹脂)作品など、升井は看板職人とサインデザイナーの間を軽やかに行き来している。今の自分に「はまれば」肩書きなんて職人でもデザイナーでも、それこそ中古レコード屋の店主でも構わないと言うことなのだろう。
「でもクルマはハイエースじゃなきゃダメなんですよ。職人なんで(笑)」
深い理由はなさそうだが、ひとまず「職人」に対するこだわりはしっかりとあるようだ。

升井亮爾(ますい・りょうじ)/看板職人・サインデザイナー
1974年、 神奈川県生まれ。 中学・高校でジャズ、ソウル、ファンク、ポップミュージックに傾倒し、18歳で西新宿の中古レコード店で働くことに。そこでさまざまな音楽に触れ、生来の雑食性が開花。大量のアナログ盤を収集した末、預金を使い果たす。20歳 のときに近所の看板屋のスタッフ募集を見つけ就職。27歳 で独立し、看板製作、サインデザインを専門にした『フェイマス サインワークス』を設立。デザイナーと職人、ふたつの思考と職を行き来しながら新しい「サイン」を作り続けている。
Famous signworks www.facebook.com/Famous-signworks-580915931944739/

佐藤斉昭

佐藤斉昭

進化を楽しまなきゃつまらない。

「UI(User Interface:ユーザー・インターフェイス)」とは、僕たちと対象物の間で交わす「情報を制御する仕組み」のことだ。例えばスマホのフリックやスワイプなどの「所作」や、PCのマウスやキーボードなどの「ハード」もUIだ。僕たちが対象物にスマートなアプローチができる「形」や「仕組み」がUIで、それを考案する職種がUIデザイナーと言うことになる。グラフィックやプロダクトデザイナーとは違いUI デザイナーは、ユーザーの行動や心理を紐解き、最高効率、最速で目的に到達させる機能性を「デザイン」しなくてはならない。だからこそ完璧な読み筋を描ける棋士のような論理的な思考こそ、UIデザイナーの「技術」と言えるだろう。佐藤斉昭はSONYの『BRAVIA』や、『Google TV(現Android TV)』の先行開発など、デザインのレギュレーションの高さが素人目にも予測できるほどのUIデザインを担当した「ガチガチ」のUIデザイナーだ。そんな「おそらく論理的であろう」佐藤の仕事や休日の過ごし方、ライフスタイルについて聞いてみた。
「休日は釣りをすることが多いですね。中学で始めて、高校・大学のときに一度止めたんですけど、ここ(鎌倉)に引っ越したことと、長男が大きくなって一緒にできるようになったので再開しました。釣りは自然相手のスポーツなので、どうにもできない不可避な状況が魅力ですね。もちろんある程度の予測は立てますけど、風や水温、波のコンディションや満ち引きとか、自然がその予測を打ち返してくるんですね。こちらが考えてるようには上手く行かないんですよ。だから1匹釣れただけで本当に嬉しい。それが釣りの醍醐味ですね」。
立てた予測通りに「ならないこと」が釣りの魅力だと「UIデザイナー」の佐藤は楽しそうに言う。結果から逆算するデザインを行う職種なだけに、釣りでも立てた予測通り、魚や自然をコントロールし、アクシデントやハプニングが生じない「論理的な結果」をモチベーションにしそうだが、佐藤の場合、どうもそうではないらしい。では仕事はどうなのか。UIデザインはある意味、機械仕掛けの時計のような正確さで恒久的に機能し続けるデザインを「ゴール」にしなくてはいけない。その「恒久的」の向こう岸には「変化」や「進化」「変革」など、デザイナーとしてのロマンがあるわけだが、佐藤はその「ロマン」をどう見ているのか。
「デバイスの進化に合わせてUIも変化しなければいけないし、論理的にデザインをしながらも、その変化を楽しまないとつまらないですよね。今の高校生はうまくスマホを使っていて、旅行にいくときにInstagramのヴィジュアルを見て、旅先の気候や気温を予想して持っていく服を決めたりしてますし、LINEの名前も友達とかじゃなくて「明日1500円返す」とか「明日遊ぶちゃん」とかにして、タスク管理を普通にしていたり、考えられない使い方をしてるんです。そんな使い方を見たり、聞いたりしていると、何か新しいサービスが生まれそうな、そんなワクワク感があります。UIデザインもそうで、イノヴェーションや進化を楽しめなければつまらないですよね」。
予測する仕事に携わり、予測を打ち返す休日を楽しむ佐藤の言葉からは偏りのない抜群のバランス感覚が聞いて取れる。その偏りのないバランス感覚こそ、UIデザイナー・佐藤が持つ「技術」なのかもしれない。(テキスト=佐藤孝洋/グラフィックデザイナー)

佐藤斉昭(さとう・なりあき)/UIデザイナー
1978年、静岡県生まれ。電気通信大学電子物性科卒業、千葉大学大学院自然科学研究科デザイン専攻修了。大学院卒業後、デザイン事務所、ケンウッドデザインにてカーオーディオ・カーナビゲーションのUIデザインを担当。2006年よりソニーにて『BRAVIA』のUIデザインなどを経て技術開発本部次世代開発室へ異動。『Google TV』の先攻開発のUI・操作デバイスのコンセプトデザインに従事。2013年、UIデザインを専門に行う、キサカタ合同会社を設立。受賞歴にGood Design Award (2009, 2010)、 Dyson Design Award優秀賞、堺市自転車デザインコンペグランプリなど。 
キサカタ合同会社 http://kisakata.jp

谷尻 誠

谷尻 誠

「できごと」を設計する建築家。

昨年、原宿にオープンしたLCSのコンセプトショップ『avant(アヴァン)』。デイリーユースに仕立てたLCSウェアの販売と、『メゾン・トロワグロ』のシェフパティシエの経験を持つ後藤裕一が監修をするカフェ「EGG STAND」、フランス雑貨を販売する「CONVENIENCE MART」をひとつにした複合型の店舗だ。ひと目で「何屋」なのかが判定しづらいこの店舗の設計を担当したのが、建築設計事務所『SUPPOSE DESIGN OFFICE』。その共同代表である建築家が谷尻誠だ。
「ネットは自分の欲しい情報に直線で繋がれていると思うんです。本を検索して音楽に出会うこともない。でも生活ってそんな直線的なものよりも、その線が見えなくて曖昧な方が偶然の出会いがあると思うんです。『avant』では服を通して食を知ったり、この場所(事務スペースと飲食店『社食堂』が同居するサポーズのオフィス)で言うと、設計を通してアートを知ったり、打ち合わせを通して食の大切さを知ったりとか。直線じゃない「できごと」を作りたかったんです」
「できごと」を作る。これは言い換えると「きっかけのデザイン」だ。大雑把にくくると建築家は「建造物を設計する人」なのだが、建築家・谷尻は、形而下の設計だけでなく目に見えないもの、例えば『avant』なら、コミュニケーションやハプニングを通して「育み」を生む「きっかけの設計」に力点を置いている。サポーズは2019年夏、地元の広島に宿泊だけでなく、レストランやギャラリー、自身らのオフィスが混在する「ホテル」をオープンさせる予定だ。『エースホテル』のように先端的なロビーソーシャリティを生み出すホテルが広島にポップアップしそうな、なんとも刺激的なプロジェクトだ。そしてこの設計やデザインはサポーズだけでなく、さまざまなデザイナーが関与するという。「自分たちの想像の範疇に収まるのはつまらないんですよ。他者が絡むと想像だにしない「できごと」が起こり、それはきっと面白いはず。たくさん借金しましたから、大変ですが(笑)」
谷尻の言葉を聞くにつけ、偶然のできごとこそ人生を面白くする「きっかけ」なのだと感じる。

谷尻 誠(たにじり・まこと)/建築家
1974年、広島県生まれ。建築家。穴吹デザイン専門学校非常勤講師、広島女学院大学客員教授。穴吹デザイン専門学校卒業後、HAL建築工房を経て2000年に独立。「常に新しいものを探し続けていくことを考えています。建築をベースとして、新しい考え方や、新しい建もの、新しい関係を発見していくことが私たちの仕事です」と公式プロフィールに書かれているが、確かにその仕事は住宅設計、インテリア、ランドスケープから家具のデザインまで幅が広い。
谷尻誠 SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd http://www.suppose.jp

石関太久麿

石関太久麿

感覚は自分の「好き」を欺かない。

海のイメージが色濃い湘南のなかでも、ひときわネイティブ感が強い場所が辻堂だ。辻堂のサーファーたちが作り出した独特なライフスタイルは、平塚や鎌倉、逗葉のそれとは明確に異なり、真性の湘南を強く感じる。そんな辻堂でアンティークショップ『BRANT』を営む石関太久麿は、生粋の「辻堂ネイティヴ」であり、典型的な湘南のサーファーだ。小学生からボディボード、中学からサーフィン。そしてサーフショップへ就職。そんな辻堂のネイティブライフを真っ直ぐトレースする石関だが、無類の家具好きということもありサーフショップを退職し、アメリカン・アンティーク・ファニチュアを輸入・販売する『BRANT』を設立する。大好きな波乗りをしながら、ひっそりと眠る「お宝」を求めアメリカ全土をくまなく巡る石関に、アンティークとサーフィンの魅力はなにかと、ぼんやりした水を向けてみた。
「本気で答えますね(笑)。アンティークは嫉妬心。それが魅力ですね。例えば「スピンドル」や「モールディング」を合わせた脚なんて膨大なコストがかかるので、国内で製作するのは現実的じゃないんです。誰でもが作れない。だから嫉妬するんですよね。それを作れた時代とか環境に。うまく言葉にできないんですが、その嫉妬するほど自由な造形が魅力なんだと思います」
こちらのしょっぱい質問に呆れることなく、正面から答えてくれた石関。確かにジェラシーは近親憎悪的なものを含んだ感情だと思う。距離感が近いからこそ手にしたい。でも届かない。諦めるには距離が近すぎる。この感情の「揺れ」こそ、何かに惹きつけられる動力と言えるだろう。ではサーフィンはどうか。
「サーフィンは飽きがこない。波のコンディションも天候もすべてが毎回違う。これは小学生で始めたボディボードからそうなんです。サーファー同士だと「なんか今日の波はいいよね」、みたいな「感覚」で分かりあえることなんですが、こちらも言葉にするのは難しくて。だから飽きないことが魅力と言うか。アンティークもそうなんですが、説明ができないその「感覚」を僕は大事にしていて、だからなかなか言葉にできないんです(笑)」
「感覚は欺かない」。このゲーテの言葉は、波と戯れ、アメリカを旅し、自分の好きなことだけをし続ける石関のライフスタイルが証明している。

石関太久麿(いしぜき・たくま)/アンティークショップ『BRANT』店主
1984年、神奈川県生まれ。住まいも職場も実家も辻堂に加え、小学生でボディボード、中学からはサーフィンを開始するなど生粋の湘南ネイティヴ。2014年、アメリカのアンティークファニチュアを販売する『BRANT』を設立。アンンティークへの造詣を活かし、CMやTVで使用される神楽坂の『坂ノ上タジオ』のインテリア内装なども手がけている。
アンティークショップ『BRANT』 http://www.brant-shop.com

Lee Sebastien

Lee Sebastien

フランスから来た男と電動自転車。

さまざまなアーティストのバックダンサーとして、また高校生たちによるダンスが爽快な『ポカリスウェット』の傑作CM「鬼ガチダンス」の現場ダンス指導を担当するなど、マルチなクリエイティヴィティを発揮しているフランス人振付師、リー・セバスティアン。フランス・パリで生まれ、幼少を山岳スポーツが盛んなシャモニー=モン=ブランで過ごしたリーは、フランス国立スキー学校で教師を務めるほどのスキーヤーであり、ほかにもロッククライミングやロングボード、乗馬なども行う生粋のスポーツマンだ。またMTBのダウンヒルも得意という大の自転車好きでもある。そんなリーのマイバイクは「電動アシスト付き自転車」。いわゆる「意識の高い自転車好き」たちから見た電動アシスト付き自転車とは、強いレディメイド感と弱いコレクション性に加え、過度なまでに保安要件を満たした、まるで家電のような自転車。要するに乗ってもドヤれない、お洒落じゃない自転車ということで括られている。ただこの評価、どこか「おそ松くん」に登場するイヤミ=フランス帰りの男が垂れる講釈のような、どうにも鼻持ちならないそれに感じてしまう。その鼻持ちならない感じが、サイクリストを「特別な趣味を持つ、特別な人」にさせ、移動のダイナミズムや自転車のイノベーションを阻害する、決して小さくはない要因に思えるのだ。だからこそリーのような「フランスから来た男」に、電動アシスト付き自転車に乗る理由と、その評価を聞いてみたい。
「自転車で都内を移動する大きな理由は、満員電車に耐えられなかったことです。あれはストレスがすごい。毎日は絶対に耐えられない。それと東京は意外と小さいから、移動は自転車が1番速いんですね。特に電動自転車は日本のテクノロジーが凝縮されていて本当にすごい。はじめて乗ったときにそのサポート力の絶妙なバランスには本当に驚かされました。それなりにパワーは使うんですけど身体への負荷が少ない。そして関節をしっかり動かすから僕みたいな職種だといいウォーミングアップになるし、スタジオに到着したら身体がいい状態になってるんです。そしていろんな面でグリーンエネルギー。環境だけじゃなくてお財布にもね(笑) 買って後悔ゼロです! 東京のライダーには本当におすすめですよ!」
自分が良いと思えばそれが最良。そしてモノの本質を「見抜くこと」に価値を見出すフランス人の精神=エスプリから出されるリーの評価は、安直にレディメイドを否定することで自身の価値をあげたがる僕たちとは逆に、シンプルで偏りがなく、そして爽やかだ。やっぱり物事の本質は、「フランス帰りの男」よりも「フランスから来た男」の言葉がしっくりくる。

Lee Sebastien(りー・せばすてぃあん)/振付師、モーションアレンジャー
1983年、フランス生まれ。フランス、アメリカ・ロスアンジェルス、サンディエゴにてダンスを学び、現在は日本を活動の拠点にし、さまざまなアーティストや数多くの TVCM の振付を担当。2016年の2月、 CONNECTING THE DOTS という振付のブランドを誕生させ活動を開始し、スペースモーション、ステージセットのデザインや照明、カメラワーク & 映像まで、モーションアレンジャーとして、振付に関する「動き」だけでなく、空間の演出とディレクションも行う。
リー・セバスティアン CONNECTING THE DOTS http://connectingthe-dots.com

五宝賢太郎

五宝賢太郎

「こだわらない」にこだわる職人。

靴職人の五宝賢太郎は「こだわりのない職人」だ。もちろん一流メゾンのドレスシューズから、最新のハイテクスニーカーのリペアや製造を手がけるなど、いわゆる「職人」としての手仕事とそのこだわりは、国内だけでなく海外でも高く評価されている。一方で靴の製造だけに止まらず、ドアノブのデザインや、強制的なミッドフットを目指した風変わりなソールの開発、ドラマ『陸王』の美術アドバイザリーを務めるなど、職人外の活動にも積極的だ。工房で寡黙に道具を振り続ける、そんな職人像には「こだわらず」、靴に関する「おもしろいこと」には何にでも首をつっこみ、新しい発見にこそ「こだわる」そのイノベーティヴな精神こそ、靴職人・五宝の真髄だろう。だから五宝が手がける靴は「おもしろい」。どの靴も造詣的な美しさの前に、五宝が体験したさまざまな「あれや、これ」が、今までにない新しいなにかとして否応もなく「立ってしまう」のだ。その「立ったもの」が、大学で学んだ人間工学に紐づく歩行に関する見識と、世界のメゾンのシューズを製作する確かな手仕事で内包されるのだから、シューズバムにとっては「たまらなくおもしろい靴」にどうしてもなってしまう。ともすると職人のこだわりは、完成度や精巧さと引き換えに「新しさを見出せずにいる閉塞感」を生み出す。あれもこれもと、さまざまなことに首をつっこみ、そのさまざまな話のいちいちに応え、そのいちいちであっさりと職を越境し、僕たちに「新しい靴」を届けてくれる。いたって身軽で飄々、こころもからだも常に遷移する「職人・五宝」。職人とは生涯を通して、独特なこだわりをこじらせ続ける人が名乗れる称号だとするならば、「こだわらない」に「こだわり続ける」五宝はまぎれもなく職人と言える。

五宝賢太郎(ごほう・けんたろう)/靴職人
1981年、徳島県生まれ。靴工房「GRENSTOCK」オーナー、靴職人。国立茨城大学生活デザイン科卒業。在学中より、靴職人・稲村有好の元で修行を開始する。2008年にオーダーシューズとシューズリペアを専門とする「GRENSTOCK」を設立。一人ひとりに合わせ、履きやすく愛着の湧く靴を提案し、多くの靴愛好家から支持されている。また、さまざまな知識をもとに生み出されるデザインは、編集者やデザイナーなどクリエーターにも愛用者が多い。2016年には六本木にリペア専門の2号店をオープン。靴作りで得た皮革の知識・技術を活かし、ドアノブやカーテン、シャンデリア、ソファなど、皮革を用いたさまざまな製作にも携わる。趣味は昆虫採集、釣り、自転車など多岐にわたり、特に自転車は新旧織り交ぜたコレクションが30台以上にものぼるほど。
靴工房『GRENSTOCK』 http://grenstock.org

雨澤毅明

雨澤毅明

誤魔化さないロードレーサー。

「休日にショッピングはあまり行かないし、服にも興味がないんですよね。ただ、トレーニングは毎回同じことの繰り返しなので、いったん自分をリフレッシュさせる目的で、何か違う行動パターンを強制的に取り込んだり、新しい発見をするために、あえて興味がない場所へは行きます」。
2018年Jプロツアーで好調な滑り出しを見せた『宇都宮ブリッツェン』に所属する23歳のロードレーサー・雨澤毅明は、今回の撮影の趣旨やプロモーションのヴィジュアル(休日のシーンにスポーツウェアを取り入れる)イメージを伝えた際、実に「興味がなさそう」に、そして淡々と話しをしてくれた。17歳から実業団チームのエリートツアーで揉まれ、チームの移籍を経験し、ワールドツアーやツール・ド・フランスへの参戦を最大目標に掲げる雨澤。ジュニア時代から「大人」たちと真向勝負で交わり続けた雨澤の言葉は、こちらの事情を先回りする機転や周囲に対する愛想などはなく、相手に誤解なく理解させる。それは僕たちが軽々に使ってしまう「エクスクラメーションマーク(感嘆符)」のないテキストのような言葉だ。エクスクラメーションマークは社会で遭遇するもろもろのコミュニケーションの「面倒ごと」を円滑にする便利な記号だ。テキストの最後に「!」を添えるだけで、そこに何らかの感情を演出することができる。だからこそ僕たちは「誤解なく理解させる」言葉を探らず、わかりやすく伝えるための構成作りも怠り、結論が曖昧なまま「!」で核心を誤魔化してしまう。それだけに雨澤の言葉には機転と愛想はないが、自転車に対する直向きな想いに誤魔化しがなく、「ロードレーサー・雨澤毅明」を過不足なく伝えてくれる。
「ただ、ショッピングでも時計を見たりするのは割と好きですね。きらびやかで華やかですし。それとメカニカルな部分が自転車とかぶりますし。それと服もピタッとしたものが好きです。レーシングジャージもピタッとしてますから」。
雨澤毅明は休日も、誤魔化しようのない「ロードレーサー」だ。

雨澤毅明(あめざわ・たけあき)/プロロードレーサー・宇都宮ブリッツェン所属
1995年、栃木県生まれ。地元の宇都宮で開催されたジャパンカップや、海外のロードレースの観戦で自転車に興味を持ち、中学で宇都宮ブリッツェンの下部チーム『ブラウブリッツェン』へ入団し、本格的なロードレースをスタート。2013年、大学入学と同時に実業団チーム『那須ブラーゼン』入団。3年間在籍後、2016年に宇都宮ブリッツェンに移籍。2017年には『ジャパンカップサイクルロードレース』でアジア選手最高位の3位、U23でトップの記録をマーク。ナショナルチームの代表にも選出されるなど、これからの日本のロードレースを牽引する若手のホープ。
宇都宮ブリッツェン www.blitzen.co.jp
雨澤毅明ブログ http://blitzen.way-nifty.com/amezawa/

平沢文雄

平沢文雄

良いデザインと大工の関係。

「良いデザイン」の「良い」を説明するのは難しい。それは建物も、ロゴマークも、スマホの筐体も、すべてのデザインは等しく難しい。「良い」はそれこそ人それぞれの捉え方や、培ってきた感受性に委ねられるもので、だからこそ説明が難しい、と言うか、ほぼ無理なのだ。だけど、やっぱり「良いデザイン」の需要は多く、だからこそ専門家による論理的な説明や識者による解説を、自分自身に納得させるための都合の「良い」理由にしたがる。だから発注側と製造側の間に「デザイナー」が介在し、「万人に説明できる『良い』」の設計をする必要が出てくる。自分自身にとって本当にそれが必要な「良い」ものなのかという根本的なことはさておき、どこか「もやもや」した結果にはなってしまうが、それでも多くの需要が納得する「良い」を作る手順としてはこの社会で機能している。
1975年生まれの平沢文雄は、団塊ジュニアの世代にあたる中堅大工だ。師匠こそいるが、縦社会、従属的社会の人、という風貌ではない。言葉や所作、佇まいが、どこか自由人的なそれで、いわゆる「ガテン」な力強さとは縁遠い「大工」だ。個人主義的と括られてしまう世代なのだが、平沢を見ているとあながち間違ってはいないような気がする。特に顕著なのは平沢の仕事のやり方だ。施主と平沢の間にある「良い」を設計する人がいない、施主と平沢が即興でデザインしていく仕事が多く、施主が本当に必要な「良い」と思うデザインを形にしているそれが多い。例えば鎌倉のバッグブランドの店舗施工や施主のこだわりが濃縮された注文住宅など、インテリアデザイナーはおろか、現場監督さえ不在である。それはともすると全体の調律が取りづらいリスクや、建築法や消防法の基準に照らし合わせるためにアクロバティックなアイデアが現場で必要になる。だがそんなリスクや煩雑な作業を通して完成した「良い」ものは、他者への説明のための加飾はなく、「施主のためのもの」にきっちりと仕上がっている。良いデザインという発注側と製造側の間にある「もやもや」を取り除き、その人だけの「良いをデザイン」に仕立てる。これが平沢の大工仕事だ。

平沢文雄(ひらさわ・ふみお)/大工
1975年、東京都生まれ。BAUM合同会社代表。高校卒業後、10年間の修行を経て建築士取得後、独立。一般建設業許可を取得し、新築、リノベーション、店舗など幅広い仕事を行っている。鎌倉にあるバッグブランドや「注文の多い」注文住宅など、施主とふたりでデザインをする仕事が多く、さまざまなレギュレーションをクリアしたデザインやアイデアの評価が高い職人である。

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